本文へジャンプ 2008年 11月09日 

 

Sony Style(ソニースタイル)

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ここでは、管理人の大好きだったジャパメタ・バンド"SNIPER"を取り上げてみたいと思います。
このバンドの持つ素晴らしさをネットを通じて1人でも多くの方に知って頂きたい。
また知っているという同士諸君に集まって頂きたいという強い思いから
このコーナーを作りました。
また、昔のライヴの話や最近のBURNYの情報、第1期、第2期、第3期メンバーの
こんな情報知ってる!
何でも構いませんので情報もお待ちしておりますので、BBSに情報をお寄せ下さい。
■結成■ 1981年8月、地元のコンテストで知り合い、それぞれのバンドを脱退してSNIPERを結成。
■経歴■




































1982年9月より、名古屋E.L.L.での活動を中心に、中部・関西地方を精力的にツアー。
当時としてはアマチュア・バンドにとって高嶺の花だった自主制作盤
『Thrilling Shot! 』という2曲入りシングルを1983年7月にリリース。
この後名古屋のライヴ・ハウス『エレクトリック・レディ・ランド(E.L.L.)』のサポートを受け、
同ライヴ・ハウスの持つ自主制作レーベルである、E.L.L.Recordsから1stアルバムとして
ライヴ盤の『Open The Attack』('84年3月)を発表して、次いで全国ツアー開始。
その後2nd.アルバム『Quick & Dead』を'85年6月に発表し、
日本のインディーズ・シーンだけではなく、ロック全体の動きに活気を与えた。
この2nd.アルバム発表後の'85年12月にはオランダの"メガトン・ディスク"という、
ヨーロッパではメジャー・レーベルからいきなり発売されるという快挙を成し遂げている。

しかし、この頃G.のBURNY以外大幅なメンバー・チェンジがあった。
大阪のバーボン・ハウスで"『Quick & Dead』発売記念ギグ"を2DAYSやった時に、
管理人はバーボン・ハウスのアルバイトで働いていたが、2日目にDr.の伊藤 俊治と
B.の村瀬 呂美の脱退がVo.の北尾 茂久から告げられた時はかなりショックだった。
この時はまだVo.の北尾の脱退はないように思えたのだが。その後北尾も脱退。

'86年8月、新メンバーにVo.吉田 隆、B.横谷 渉、Ds.板倉 淳を迎えヨーロッパ・ツアーを敢行。
サウンド的には、第1期メンバー時はオーソドックスなハード・ロックであるのに対して、
第3期メンバー時には吉田のボーカルを生かして少しブルース色と、
ヨーロピアン・テイストも漂わせたハード・ロックという感じだ。
スナイパーは、ギタリストのBURNYを中心としたバンドで、常に活動方法、音楽性の核には
彼が大きな力を発揮していた。
日本のハード・ロック・シーンにおいてインディーズの動きを作ったのは彼らであるし、
1年の3分の2をツアーに費やすというプロのバンドでも成し得なかった
離れ業も見事にやってのけた。
そして、第3期メンバーではオランダ・ツアーも成功させている。
途中メンバー・チェンジがあったことから、メジャー・デビューを逃しているものの、
楽曲の素晴らしさ、演奏力・観客動員力等どれをとってもプロとして通じる
数少ないバンドであったことは確かである。
サウンド的には上記にも記してあるが、ベースとなっているのはヨーロッパの香りを
漂わせるオーソドックスなハード・ロックであるが、とにかくメロディ・ラインがハッキリしており、
とてもコンパクトな作りになっているのが特徴である。
そしてメロディ・ラインも個性的で、流れるような優しい響きと、激しく突き上げるような冷たさを持ち、
それらが上手く絡み合い、バックのサウンドに乗っている。
そのメロディ・ラインをコントロールしているのが、BURNYのギター・ワークで、ライト・ハンド等といった
特殊奏法を一切使わず、正統派スタイルで表現している。
勿論、特殊奏法が駄目だと言ってる訳ではない。
それだけメロディ・ラインを大切にしている証拠でもあるし、
真の実力と表現力がなければ出来ないといっても過言ではない。
感受性が優れているからこそ表現力にも違いがあるのだろう。
これはギタリストとしてとても大切な事だと思う。

《BURNY》

BURNYは、'87年10月にソロ・プロジェクトとしてアルバム『GRASS WALL〜Ain't Dead Yet』をリリース。
このアルバムでBURNYは、スナイパーでは表現できない、また違った音楽性とギター・ワークを披露している。
このアルバムでは、ハードあり、インストあり、バラードありといった感じで色々な側面のBURNYを垣間見る
事が出来る。特にバラードの"TIME WAS"ではBURNYの泣きのギター炸裂でお勧めである。
スナイパー・ファンならずしも、ギター・フリークは一聴して欲しいものである。
その後、管理人もジャパメタからかなり遠ざかった時期もあり詳しくないが、
前述のソロ・プロジェクトのメイン・ボーカリストの岸本 友彦(元MURBAS)と、これがきっかけになり、
"J.D.K.BAND"という流れになった。
このバンドに関しては全く今のところ情報がないので分かりません。分かり次第アップします。
その後、スナイパーの第3期メンバーの1人であるDs.の板倉 淳と、B.には元ホワイト・ファング〜
大谷レイヴン・バンド他の高橋 竜を迎えてBurny,Ryo & Junを結成。
このバンドは3人が2年以上の歳月を経て'95年にリリースした唯一のアルバム。
ベーシックなサウンドは、'70年代〜'80年代初頭の洋楽指向のハード・ロック。
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